イランカラプテ たんぽぽ通信 by IKUKO函館モナムール~元無所属議員の日々の想い |
復値春 ~ 復た春に値わん
2009-05-09-Sat-17:11
函館を3日から7日まで留守にしていた。
その間に、大切な友人Mさんと会えなくなってしまった。
国内研修生交流誌『嵐山』を渡したかったので、
4月中旬から何回か連絡とっていたがお留守。
出かける前日2日にもご自宅をたずねたけどお留守だった。
Mさんは6年前からがんと闘っていた。
「Mさんから私たちは、勇気をもらっています」と
ホスピスの医師や看護師さんたちが話していた。
Mさんが亡くなった時刻を聞いて、あっと思った。
急に、私のお腹が痛み出した頃だった。
それから私は水しか口にできない状態で、
何にもできないまま、
心身ボロボロで深夜函館に戻ってきた。
私は独りで激痛に耐えていたと思っていたが、
傍にMさんが来て励ましてくれていたのだろう。
Mさんは、市主催の国内研修生派遣事業、
国立教育婦人会館への研修生仲間である。
女性学、ジェンダーなどを学んで高揚した5人の仲間は本当によく話し合った。
この感動を広く伝えたい、行動しなければ!と燃え上がり、
市1階ホールで報告展を開催、アンケート調査も行った。
この事業始まって初めてのことだった。
市に提案し、企画・作成・・・・
そんな時、いつもみんなが頼りにしてしまうお姉さん的存在だった。
後に、Mさんのすすめで、私は女性大学カウンセラー講座を受講した。
そこで、山形道文弁護士の法律の授業に感動し、
その後函館漢詩文化会にも入会した。
『この桜花に
逢いまた逢わん
永遠の光に』
撰文・揮毫 守節 山形道文
函館未来大学校内の石碑に刻まれている。

山形先生、Mさん、桜の下で復た値いましょう
その間に、大切な友人Mさんと会えなくなってしまった。
国内研修生交流誌『嵐山』を渡したかったので、
4月中旬から何回か連絡とっていたがお留守。
出かける前日2日にもご自宅をたずねたけどお留守だった。
Mさんは6年前からがんと闘っていた。
「Mさんから私たちは、勇気をもらっています」と
ホスピスの医師や看護師さんたちが話していた。
Mさんが亡くなった時刻を聞いて、あっと思った。
急に、私のお腹が痛み出した頃だった。
それから私は水しか口にできない状態で、
何にもできないまま、
心身ボロボロで深夜函館に戻ってきた。
私は独りで激痛に耐えていたと思っていたが、
傍にMさんが来て励ましてくれていたのだろう。
Mさんは、市主催の国内研修生派遣事業、
国立教育婦人会館への研修生仲間である。
女性学、ジェンダーなどを学んで高揚した5人の仲間は本当によく話し合った。
この感動を広く伝えたい、行動しなければ!と燃え上がり、
市1階ホールで報告展を開催、アンケート調査も行った。
この事業始まって初めてのことだった。
市に提案し、企画・作成・・・・
そんな時、いつもみんなが頼りにしてしまうお姉さん的存在だった。
後に、Mさんのすすめで、私は女性大学カウンセラー講座を受講した。
そこで、山形道文弁護士の法律の授業に感動し、
その後函館漢詩文化会にも入会した。
『この桜花に
逢いまた逢わん
永遠の光に』
撰文・揮毫 守節 山形道文
函館未来大学校内の石碑に刻まれている。

山形先生、Mさん、桜の下で復た値いましょう