イランカラプテ たんぽぽ通信 by IKUKO

函館モナムール~元無所属議員の日々の想い

前衆議院議員 金田誠一さん有り難うございました

2010-03-14-Sun-23:43
昨日13日は、
午前~函館家庭生活カウンセラークラブ委員会に出席、
7期14年間代表を務めた代表が勇退なさるので、
役員改選を話し合いました。
お昼に、次回の市政報告会会場の的場町会館へ
チラシとポスターを持ってうち合わせに。

午後は、前衆議院議員 金田誠一さんの
連合後援会解散式・懇親会に出席。
東京や北海道各地から駆けつけた約300人の参加者は、
「金田誠一のあゆみ」映像を見て胸を熱くなり、
それぞれの思いを語り合い、
金田さんへの心からの感謝と今後を応援するあたたかい会となりました。
金田誠一さん
強い信念のもとに全国の市民活動を支援してくださった金田さん。
功績は偉大です。
1979年史上最高得票7,320票でで市議に初当選(31才)
1993年衆議院議員に無所属、社会党推薦で初当選(45才)
2005年に五選を果たしましたが、
2006年一月入院中に脳梗塞を発症。
その後もリハビリを続けながら国会活動に力をいれ、
2009年衆議院解散、衆議院議員を勇退なさいました。

金田さんへの、私の思いを綴ってみると~
金田さんに出会ったのは、1992年1月末のパリでした。
グロード神父率いる高齢者福祉フランス視察団に
市議会議員の金田さんご夫妻が参加なさってました。
函館からの視察団というので、まだパリに住んでいた私は、
ちょっとボランティアのつもりで一日目の会場に駆けつけましたが、
函館の皆さんの熱心な研修姿勢に引きこまれて、
結局、ハードな三日間視察・研修に付いてまわりました。
金田さんはじめ参加していた皆さんの函館への思いを感じて、
生活しやすい街だろうと期待を持って、私はその年の4月にUターンし、
衆議院議員金田誠一さんの活動に注目してきました。
数え切れない議員活動の中から、印象に残っているのは、
1995年 フランス核実験に抗議するため、グリーンピースのヨットでムルロア環礁へ。
1997年脳死を人の死としない立場から臓器移植法案(金田案と呼ばれる)を
   提出し、憲政史上初の党議拘束のない採決を実現。
1999年 市民が創る公立学校「チャータースクール」の調査にアメリカへ。
2991年 テロ特措法による自衛隊派遣承認の採決にあたり、
   民主党ネクストキャビネット厚生労働大臣の辞任届を出した上で、
  「反対」を貫く
2002年 バーバラ・リー米国下院議員(アフガン報復戦争に米国議会で唯一人反対)
   の日本招請のため訪米。8月に来日実現。
    「自然エネルギー促進法案を四野党で国会提出、代表提出者となる。
2003年 超党派の「パートタイム労働者等の均等待遇を実現する議員連盟」
   を結成し、パート労働者の「同一価値労働同一賃金」の実現に尽力。
2004年 LRT(次世代型路面電車)推進議員連盟を設立、事務局長に就任。
2007年 パート議連会長として、大学非常勤講師の権利向上を国に求める。
2008年 「学習療法」の勉強会を開催して、
    50万人ともいわれる失語症の人たちへの対策を厚労省に要望。
2009年 臓器移植法改正A案、B案に対して、C案(いわゆる金田案)を提出。
信念の人、金田さんは、私たちの心に深く刻まれています。
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